仙台にある特別養護老人ホームなどからなる福祉施設「ライフの学校」の前庭を改修し、誰でも立ち寄ることができる公園のような場所とするプロジェクト。
近隣の家財など「まちの資源」を嫁入りするように運び込み、完成のない庭をつくっています。
庭が街に開かれた日
庭の設計を始めてから1年半が過ぎ、夏の終わりに庭が開かれた。春の初めにはまだ芽吹いていなかった植物が、夏の終わりにはぐんぐんと背を伸ばし生い茂っている。
新しくなったテラスは舞台として見立てられ、ホーム入居者のおじいちゃんが車掌だったころの話をみんなにしてくれた。偶然やってきた子どもも職員も、私たち設計者も、輪になってそれを聞く。ふと横を見ると、庭開きに合わせてやってきた食いしん坊のヤギが一心不乱に草を食べている。この庭の雑草の手入れは、理事長がコツコツと行い、それを見た職員が手伝い、就労支援の一環として仕事を生み、ヤギのエサにもなるなど、小さな生態系が庭を巡る。さまざまなサイクルが重なり合う共依存な関係に、庭を触媒とした社会圏の強度を感じる。
まちの資源のお引っ越し
初めて訪れたこの場所は、敷地境界線に沿って生垣が整列しており、施設を街から隔離する箱のような庭だった。施主である社会福祉法人ライフの学校から、法人の理念でもある「人間の生死のリズムを豊かに感じ、それぞれの個性を認め合って生きること」を目指した庭をつくってほしいという依頼を受け、庭の改修設計に取り組むことになった。
敷地である仙台市若林区沖野は今でこそ開発され、家が入り組んで立ち並んでいるが、30年ほど前にはほとんど農地であった。 30年前に夢のマイホームを建てた世代が一気に高齢化し、地域の端っこにあるこの施設に引っ越してくる。住宅地には小さな空洞が生まれ、管理されなくなった庭や空き家が点在している。この
プロジェクトは、施設にやってくるおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に、庭や家財道具も一緒に嫁入り道具のように引っ越してきてもらおう! というところから始まった。そして、施設のおじいちゃん、おばあちゃんのコネクションや地元住民の知恵を分けてもらい、まちの資源を取材・採集しに街へと繰り出した。
環境を身体化し、偶然性を信頼する
現場が始まるとそこには寸法のない世界が広がっていた。庭の設計は、建築物の数ミリ単位の緻密な計画とは違い、揺れ動く環境と対話を重ねた先にある。設計者自ら土に触れ、どの石をどこに置くか、環境と対峙しながら、1/1で検討する必要を感じ、施設に滞在しながら設計することに決めた。
庭で打ち合わせをしたり、木を動かしたり、石積みをしたりしていると、前を通り過ぎる人やホーム入居者のおじいちゃんたちが見ていて、後から感想を伝えてくれる。朝早くからいつも同じ帽子を被り犬の散歩をする人、登下校する子どもたち、ゆっくり歩くおばあちゃんなど、土地に流れる日常のリズムを経験し、だんだんと環境の一部になっていくような時間だった。
集まってきた嫁入り道具は、宮城県沖地震によって崩れ、長年庭の端に置かれていた秋保石であったり、3.11による津波で解体業者の元に集まった雄勝石や庭石だったり、ひとえに「石」といっても、多種多様な文脈からやってくる。形も色も不ぞろいで正直に言うと扱いづらいが、それぞれの嫁入り先からエピソードと一緒にもらい受け、それらを組み合わせ、工作のように設計を進めていった。
さまざまな事物が干渉し合える模様
細長い敷地に対して、長手方向に四つの性質を持ったエリアを千鳥状にずらしながら配置した。庭を歩くとパラパラマンガのようにシーンに出会う、経験の連続をつくる。
建物の床と同じ高さの縁側ステージと畑、石垣を背に持った小上がりベンチと果樹群、既存の植物や余った石が散らばった雑木林、田んぼを一望できる小高い丘。小さな川石から大きな木まで、スケールや素材の異なるものを「点-線-面」として模様に落とし込み、それらを重ねるように検討していくと、微細なレベルごとに生まれた模様が貼り絵のように折り重なる。強い全体性としての骨格を持つのではなく、さまざまな事物がそれぞれ自律しながら居合わせ、互いに干渉し合える模様としてのストラクチャーを目指した。
また、あえて庭の地面を舗装せず、自分で歩行できるお年寄りは家族や職員と手をつなぎながら、車椅子の人は一度街路に出てから庭を巡るように計画した。植物に関しても、整然と並ぶ常緑樹などの管理されたものではなく、季節の草花や落葉樹、果実などの手がかかるもの、踏まれて広がる芝など、動的な植物を選んだ。
関与する余白、仕事を生む庭
老人ホームに入居することには、我々の予想を大きく上回る不安があるだろう。家にいたころは育児や家事などの役割があったにもかかわらず、突如として、人からケアされる立場になる。完成された庭ではなく、入居者それぞれの個性やスキルが関与する余白をつくりたいと考えた。
毎週異なる曜日で通所しているおばあちゃん二人が、それぞれ畑のうねを自己流で更新し、形跡として残し合っている。元農家としての経験は、二人の畑の更新合戦へと展開し、ホーム入居者のおやつとなる果物や野菜につながって、犬の散歩中、または小学生たちの下校の風景と接続している。
芽吹いた植物たちは、水路に潜んでいた小さな蛙を呼び込み、ヤギによって整地される。小さな果実を付けた樹木目当てに鳥がやってきて、2、3階の老人ホームの居室の窓辺に季節の声を響かせる。計画や目標が先立つのではなく、異なる原理で生きているものたちがそれぞれ自由にふるまい、そうしてできていく風景に豊かさを感じる。さまざまなスキルを持った登場人物が、まるで屏風絵のように、庭を触媒として絡まり合っている。常に状態が揺れ動き、庭はいつまでも完成を迎えない。
この庭は、人やものの経験を手繰り寄せ、それらの形跡が集まり更新され続ける歴史のような場なのかもしれない。庭に嫁入りしてきたものは、ある人には思い出の何かでありながら、ある人には取るに足らないものだろう。しかし、それらは何かの形跡として環境に上書きされ、徐々に誰かの記憶として折り重なっていく。その一部や全体が、街の生態系や関係性に微振動を生み、連鎖のきっかけの一つとなる、寛容な庭で在り続けることを願っている。
- 嫁入りの庭
-
HPhttps://www.facebook.com/lifenogakkou
- 設計
-
統括意匠冨永美保・林恭正/tomito architecture
-
構造鈴木芳典・鶴田翔/TECTONICA
- 工事
-
監理冨永美保・林恭正/tomito architecture
-
施工株式会社アトリエアムニー
-
施工協力林恭正/tomito architecture
- 概要
-
所在地宮城県仙台市
-
主な用途町の資源を引き受ける庭
- 掲載
-
社会福祉法人「ライフの学校」HPよりhttps://gakkou.life/about/
-
庭の嫁入り日記(スタッフ林の常駐日記)https://haginokaze-tomito-hayashi.tumblr.com/